6月のある穏やかな休日、私は千葉県成田市に佇む「宗吾霊堂(そうごれいどう)」へと足を運びました。 成田山新勝寺のすぐ近くにありながら、多くの観光客で賑わう表参道とは一線を画した、深い静けさに包まれたお寺です。京成宗吾参道駅からも徒歩圏内ということもあり、以前から気になっていた場所でした。そして何より、この時期は境内の紫陽花が見頃を迎えると聞き、心惹かれたのです。
重厚な山門をくぐると、ふっと空気が変わるのを感じます。まるで外の世界の喧騒が遠のいていくかのよう。木々に深く抱かれた境内の奥、手入れの行き届いた参道の脇や、苔むした小さな石段のそばに、紫陽花が可憐な姿を見せていました。それは、観光名所に見られるような絢爛豪華な咲きっぷりではありません。しかし、古刹の緑の中に、まるで昔からそこにいたかのように、そっと自然に咲いている紫陽花の風情が、たまらなく心地よいのです。
淡い空色、優しい藤色、そして清らかな白。様々な色合いの花々が、深い緑を背景に静かに浮かび上がっているかのようです。訪れた日は幸いにも雨上がりで、葉や花弁には露が残り、それが木漏れ日に触れては小さくきらめいていました。もしかすると、太陽が燦々と照りつける日よりも、こんな風に少し曇っているくらいの方が、この場所の紫陽花の奥ゆかしい美しさは際立つのかもしれない、とふと思いました。
宗吾霊堂は、江戸時代の義民・佐倉惣五郎(木内惣五郎)様をお祀りしたお寺として、その歴史的背景と共に多くの人々に知られています。そうした由緒ある場所でありながら、現在は、地元の方々が気軽に散策に訪れたり、四季折々の花を愛でたりする、心安らぐ憩いの場として深く愛されているようでした。境内では、ご近所の方と思われる方が木陰のベンチで静かにお茶を飲んでいたり、年配のご夫婦が仲睦まじく紫陽花にカメラを向けていたり。どこか遠くへ「観光に来た」という気負いとは違う、**「日常の中の、ほんの少し特別な時間」**を慈しむような、穏やかな空気が流れていました。
境内をゆっくりと歩いていると、小さな池のほとりや、風情ある石仏の周りにも、ひっそりと紫陽花が寄り添うように咲いているのを見つけます。一つひとつの風景が絵になるので、カメラを手にじっくりと巡れば、きっと多くの発見があることでしょう。ただ、不思議と私はこの日、スマートフォンのカメラをあまり向けませんでした。レンズを通して「記録」するよりも、この場の空気感や光、そして花の佇まいを、そのまま心に焼き付けておきたい。そんな気持ちに自然とさせられたのかもしれません。まさに、「記録よりも記憶に残る風景」という言葉がふさわしい場所でした。
まとめ
宗吾霊堂の紫陽花は、決して声高にその美を主張するわけではありません。 しかし、深い静寂と歴史の中にひっそりと咲くその姿は、訪れる人の心に、言葉では言い表せないほどの深い余韻を残してくれます。
華やかな観光名所とはまた異なる、“静かに咲く花の奥ゆかしい美しさ”をじっくりと味わいたい。そんな時に、ふと足を運びたくなる場所です。 季節の狭間、何でもない日にふらりと訪れてみたくなる。そんな心安らぐ場所がひとつあるだけで、日々の慌ただしい風景も、少しだけ優しい色合いを帯びて見えるような気がしました。
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